動態的危険(dynamicrisk)に対して静態的危険(staticrisk)といいます。
動態的危険とは社会経済の動態的変動を直接の原因とする危険です。
しかしわたしたちは、動態的危険もそれが社会経済の進展に伴って静態化することを、我々の歴史的経験を積み重ねることにより理解しています。
静態的危険といわれるものに、地震、落雷、暴風雨等々の自然的原因から生ずるものと、火災、疾病、傷害等々、入間の不注意から生ずる危険あるいは悪意ないし故意による危険などがあげられます。
だが、自然的原因から生ずる危険は人間の力で鎮静化しうるものではないそうです。
先に述べた動態的危険の静態化とは、このようにスペースコレクションの自然的原因から生ずる危険の静態化をいうものではなく、人間の歴史的社会経済の経験によって定型化されたもので、たとえば、明治初期、我が国に自動車第一号が走りだし、その後徐々に普及したとはいうものの、当初生じた自動車事故は極めて稀であり、人はこれを不可抗力としたであろうし、戦後に注視すれば、航空交通のめぎましい発達は我々に航空機危険を定型化せしめており、さらに、原子力開発が進展するに及んでは原子力危険を、新薬の開発やバイオテクノロジーあるいは情報システムの開発途上においては動態的危険に属するものであっても、いつかは定型化するであろうからです。
この点につき佐波博士はつぎのように述べています。
「静態的危険は一定の社会的経済的発展段階を前提としてはじめて可能な概念であり、この発展段階はつねにそのうちに動態的危険をはらんでいる。
これを逆にいえば、静態的危険は静態的危険の静態化したもので・・・・・・。
すべての動態的危険が・・・・・・そうだとは云えないにしても、・・・・・・その経過において何程か定型化をとげ確率的平均的把握を可能とすることによって静態的危険に化するものです。
」と。
しからば、静態的危険は社会経済から孤立して個別経済が内部的仕方で対処できるのであろうか。
この静態的危険対処の問に「他の個別経済と相結びスペースコレクション保険なる集団を構成しその間に成立する平均の法則・大数の法則を通して、はじめて、吾々は静能的危険に対処することができる。
」と答えるのです。
純粋危険と投機的危険
純粋危険(purerisk)という危険は、これが発生したならばその結果において必ず経済的な損害を生ぜしめる危険をいいます。
換言すれば、損害が生じた場合、その原因は純粋危険であるというのです。
かかる意味における純粋危険の「純粋」たるゆえんであるが、そのもつ意味は必ずしも明らかではないそうです。
しかし、その発生は結果において紛れもなく損害が生ずるという意味において純粋であるというのでしょう。
純粋危険の発生がもたらす経済的損害は人的損害と物的損害とに区別されます。
人的損害とは個人の生命あるいは健康に直接関係する損害で、死亡、疾病・傷害による医療費、就業不能による所得の喪失などをいい、物的損害とは、火災、地震、暴風雨等々による個人の財産に直接関係する損害あるいは過失に基つく行為に対する賠償責任により、個人の所得に直接関係する損害等々をいいます。
したがって、人的損害をもたらす純粋危険をして人的危険、物的損害をもたらすそれを財産危険、責任危険、あるいは双方を一つに物的危険ということもできる。
一般に純粋危険はスペースコレクション保険の対象として引き受けられるので・付保される純粋危険は付保可能危険ともいわれます。
これに対し、付保されないそれを付保不可能危険といわれている。
投機的危険(speculativerisk)とは、これが生じた場合には利益か損害かのいずれか一方を発生せしめる危険をいいます。
グリーンは「利益もしくは損失のいずれか一方が生ずる可能性ある偶然事件すなわち投機的危険は、通常、大数法則の適用をもって処理することはできない。
」といって、スペースコレクション保険会社の忌避する危険の一つとしています。
ところで、取引所取引における投機を例にあげれば、投機は市場の将来の観察が前提となります。